由岐ごっついマンレース(後編)

 

11) 「バンダナの男」
翌日(5月6日)、幸い頭痛も手足の麻痺もありませんでした。ただ、包帯姿のままでは具合が悪いので、頭にバンダナを巻いて通常通り仕事をしました。当然ながら、会う人ごとに「その頭、どうされたんですか?」と聞かれましたが、「最近ヨーロッパで流行っていますので・・」と誤魔化し続けました。

 

それ以後1カ月あまりはバンダナを巻いたまま、一日も休むことなく通常の仕事も外部の会議もすべてこなしましたので、友人たちから『バンダナの男』と呼ばれるようになりました。

 

12) 右手に痛みと麻痺がくる
そこまではご愛敬でよかったのですが、5月20日頃から右手が痛み出したのには閉口しました。右手を下げると鉛の棒を入れたように痛くなり、頭の上に持ち上げると痛みが治まりますので、食事も右手を頭に乗せて左手で食べ、パソコンも左手だけで打たざるを得ませんでした。

 

寝る時も座布団を何枚か重ねてその上に右手を乗せて寝る日が続きましたが、寝返りするたびに痛みで目が覚めました。

 

整形外科で頸椎のMRI検査をしてもらったところ、予想通り頸椎の4番目と5番目の間隙が狭くなっていました。頸椎が神経を圧迫している可能性が高いので、整形外科の先生方も頸椎の牽引をすべきかどうか協議をして下さいましたが、意見が分かれましたので、結局は牽引をせずに様子をみることにしました。

 

13) とりあえず第12回大会に申し込み
そのような状態が続く中で、5月22日に「第12回由岐ごっついマンレース」の申込書が届きました。いつもの大会は7月の第1か第2日曜日なのですが、その年は意外と早く6月28日の開催になっていました。あと1カ月ぐらいしかありませんので、とても無理とは思いながら一応申し込みだけはしておきました。

 

その後も右手の痛みが続くうえに次第に麻痺がきて腕の力が弱くなり、普段は5kmが簡単に上がるバーベルが、1kgも上がらなくなってきましたので、5月中は走りも泳ぎも完全に休みました。

 

14) 6月から練習開始
しかし、6月5日頃から右手の痛みが少しずつ治まってきましたので、1日5~10kmの走りを始めました。問題は水泳ですので、右手の力がはいらないまま、6月21日から前日の27日までウエットスーツを着て左手だけで1~2kmほど泳ぐ練習をしてみました。

 

プールでウエットスーツを着用するのはマナー違反なのですが、事情を話して特別に許可をもらいました。ウエットスーツを着ますと身体が浮きますので、何とか片手で泳ぐことができます。

 

15) 第12回大会への参加を決意
「由岐ごっついマンレース」の制限時間は水泳が1時間10分、総合時間が2時間20分です。片手で泳ぐと当然ながらスピードが出ず、方向性もバランスも極めて悪いのですが、何とか制限時間内には泳げそうな気がしましたので参加を決意しました。

 

16) 大会当日
大会当日、最後尾からスタート。水泳に54分、着替えとランニングに1時間20分かかり、総合時間は2:14:00でした。予想通り制限時間6分前のゴールで、結果は惨憺たるものでしたが、何とか時間内に完泳・完走できただけでもラッキーでした。

 

17) おわりに
ラッキーと言えば、水泳の際に無意識に右手を動かしたものと思われます。それがリハビリ効果になったのか、大会後に次第に右手の力が戻ってきました。

 

もちろん翌年の第13回大会にも参加しましたが、驚いたことに家内が「私も来年の大会に出ます」と言って水泳の練習を始めました。何とか翌年の4月頃には2km泳げるようになりましたので、第14回大会の申し込み書が届くのを楽しみにしていましたが、「由岐ごっついマンレース」は第13回大会を最後に中止になってしまいました。

 

家内の落胆ぶりは言うまでもありません。そこであちこちの大会を探したところ、翌年の2000.06.18に明石大橋下の舞子海岸で " Splash & Dash in Maiko "(水泳800m+ランニング8km)のバイアスロンが開かれましたので一緒に参加し、1:18:55の同タイムでゴールしました。

 

めでたし、めでたし・・・・。

 

なお、2000年から日和佐(現在の美波町)で『ひわさうみがめトライスロン』が始まりました。大浜河岸で水泳1.5 km、南阿波サンラインコースでバイク40 km、日和佐川沿いにラン10 kmの本格的なショートタイプのトライアスロンで(ハワイのアイアンマンレースは3.8 km、180 km、42.195 km)、今年の7月19日で第10回目を迎えます。

 

「由岐ごっついマンレース」が中止になりましたので、日和佐トライアスロンへの挑戦を考えましたが、バイクは事故が多いという理由で家内から許可が下りませんでしたので、残念ながら参加を見送りました。

 

           ( The End )

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由岐ごっついマンレース(中編)

 

5) ワサビ採りで落石に会う
私は時には山登りもします。これまで県内の山をはじめ石槌山、赤石山、佐々連雄山など四国の山のほか、北アルプスの立山、穂高、剣岳にも登りました。

 

第12回大会が行われた1989年の5月4日には、登山仲間と東祖谷山村の落合峠へワサビ採りに行き、大収穫がありました。

 

ところが、帰る直前に五つほど岩が水面から出ている沢を渡った際、最後の岩場で不覚にも足を滑らせました。咄嗟に向かい側のブッシュを掴みましたが、ブッシュが抜けてその上にあった石が落ちて頭に当たり、沢に仰向けに倒れ込みました。急に青空が見えた時は一瞬「しまった!」と思いましたが、何がどうなったのかサッパリ分かりませんでした。

 

仲間の一人が「○○さんが沢に落ちた!」と大声で叫びましたので、すぐに家内と友人が駆けつけて沢から引き上げてくれましたが、頭からの出血がひどく上着は血だらけ。家内が手持ちの布テープを頭にグルグル巻いてくれましたので、何とか出血は止まりました。

 

私には自分の頭が見えませんでしたので、あとで聞きますと、頭の左側の皮がペロリと剥けて、ひどい出血だった由。まともに石が頭を直撃していれば恐らく一巻の終わりだったかも知れませんが、咄嗟に身を交わしたために石が頭の左側をこすったようです。

 

6) 何とか県道まで下山
しばらくは朦朧としていましたが、少しずつ意識が戻ってきましたので、左側を流れる渓谷に落ちないように、仲間が木を2本切ってきて子どもの頃によく遊んだ「汽車ぽっぽ」さながらに私を2本の木で挟み、前後を一人ずつがサポートして道なき道を1時間ほど歩いて、何とか本道に辿り着きました。

 

7) 救急車で三好病院へ
山中からは携帯電話が通じないので、仲間の一人が先に民家まで走って電話を借り、その日は都合で山に来られなかった仲間の一人に、もし意識が戻らなければ救急車が入れない場所なのでヘリコプターが必要かも知れないと連絡すると同時に、救急車を呼んでくれてありましたので、間もなくピーポーピーポーを鳴らしながら救急車が来てくれました。

 

救急隊の方が「病人はどなたですか?」と聞いた時、ちょうど私は小用を足しに山陰へ行っていましたので、仲間がその旨を伝えますと、「そんなに元気なら救急車は要らないのではないですか」と、いささか機嫌が悪かったようです。しかし、頭に布テープを巻き上着が血だらけの私を見て急に態度が変わり、慌てて救急車に乗せてくれました。

 

それまで救急車に伴走者して乗ったことは何度かありましたが、自分が患者として運ばれたのは初めてです。車中でこまめに血圧や心拍数を測ってくれる救急隊の方に「お世話になります」とお礼を言ってその旨を伝えますと、ほっとした様子で、またまたピーポーピーポーを鳴らして三好病院まで運んでくれました。

 

8) 三好病院に入院
午後5時頃に三好病院へ着くと、先に山から連絡を受けていた登山仲間が三好病院へ電話をしてくれてありましたので、5月の連休中にもかかわらず脳外科の医師と総婦長さんまでが病院の玄関に出て、救急車を出迎えてくれたのには恐縮しました。

 

すぐに頭を20針ほど縫って、血液検査もしていただきましたが、普段は15.0 g/dlほどある血色素が11.0 g/dlに減っていましたので、相当な出血があったものと思われます。

 

頭のCT検査でも脳には異常がないとのことでしたので、「大変お世話になりました。それでは帰らせていただきます」と言いますと、脳外科の医師が「○○さん、それは困ります。一晩は入院して経過を見せていただきませんと、院長に叱られます」ということでしたので、一晩入院させていただきました。

 

9) 翌 朝
翌朝(5月5日)、目がさめてベッドから起き上がろうとしましたが、頭が重くてなかなか持ち上がりません。しかし、幸い手足の麻痺も頭痛もありませんでした。

 

朝食後に脳外科の医師と婦長さんが回診に来て、「気分はいかがですか?」と様子を聞いてくれました。「すっかり良くなりました。大変お世話になり有り難うございました」と答えますと、「それでは立って、歩いてみて下さい」と言われましたので、力を振り絞って歩いてみました。大丈夫のようですね。もう1日様子を見たいのですが、もしお急ぎなら退院していただいても結構ですよ」と言ってくれくれました。

 

翌日の6日からは仕事が始まりますので、午前中に退院したかったのですが、私の車は前日に集合地である脇町に置いてありましたので、心配して三好病院まで様子を見に来てくれた仲間の車に乗せてもらい家内が脇町まで車をとりに行きました。

 

10) 退院して我が家へ
結局、午後3時ごろに三好病院を退院させていただき、助手席を倒して仰向けに寝たまま、家内の運転で午後5時頃に我が家に辿り着きました。

 

               ( to be continued )

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由岐ごっついマンレース(前編)

 


  年 月 日    大 会 名    年齢     距 離 (km)     タイム  


1987.07.19    第1回大会    49    水泳1.0+10    1:16:44
1988.07.03   第2回大会     50     水泳1.6+12    1:50:10
1989.07.09    第3回大会    51     水泳1.6+12    1:45:26
1990.07.08    第4回大会     52     水泳1.6+12    1:39:39
1991.07.07    第5回大会     53     水泳1.6+12    1:43:12
1992.07.05    第6回大会     54     水泳1.6+12    1:46:59
1993.07.04    第7回大会     55     水泳1.6+12    1:42:07
1994.07.10    第8回大会     56     水泳1.6+12    1:53:31
1995.07.09    第9回大会     57     水泳1.6+12    1:54:20
1996.07.07    第10回大会    58     水泳1.6+12    1:55:41
1997.07.06    第11回大会    59     水泳1.6+12    1:55:56
1998.06.28    第12回大会    60     水泳1.6+12    2:14:00
1999.07.04    第13回大会   61    水泳1.6+12    2:00:59


 
1) はじめに
1987年から1999年まで13年間、徳島県海部郡由岐町(現在の美波町)で「由岐ごっついマンレース」が行われました。田井ノ浜海水浴場で泳いだあと、阿武方面へ走って折り返す競技です。

 

当初はバイクも加えて、スイム・バイク・ランニングのトライアスロンを企画していたようですが、道路が狭いために安全面から自転車の許可が下りませんでしたので、結局は水泳とランニングのバイアスロン競技になりました。

 

私も走りを始めて3年目でしたので、ハッピーや青少年センターで水泳の練習もして初回から参加しました。

 

2) 由岐ごっついマンレース
第1回大会は水泳1km+ランニング10 kmでしたが、第2回大会以後は水泳1.6 km+ランニング12 kmを追加して長短二種類の競技を平行して行うようになりました。しかし、コースで短距離と長距離の競技者が交錯したり、タイム計測にも支障を生じたため、確か第4回大会から水泳1.6 km+ランニング12 kmの競技に統一されました。

 

7月の初旬はまだ水温が低いのと安全面からウエットスーツを着て泳ぎますが、水泳が終わってランニングに移る前に、ピッタリと張り付いたウエットスーツを脱ぐのに随分と手間がかかります。ちなみに、第4回大会は水泳が35:39、着替えに3:55、ランニングが1:00:04 でしたので、合計タイムは1:39:39 になりました。

 

3) 初回から13年連続参加者は10名
第1回大会の参加者は150名。その後は徐々に定員が増えて400名になり、全国各地から参加者が集まるようになりました。水泳1.6 km+ランニング12 kmは、マラソンに換算しますとハーフマラソンよりやや少ない運動量ですが、13回開かれた大会にすべて参加した競技者は第1回大会の150名中、わずか10名でした。

 

どの競技にしろ連続参加できる第一条件は自分の健康状態ですが、仕事の都合や家族の状況にも左右されますので、13年間連続して参加するのは簡単なことではありません。幸い私は好条件に恵まれ、10人のうちの一人になりました。

 

4) 参加が危ぶまれた大会もある
しかし、一度だけ完走どころか参加自体が危ぶまれた大会がありました。1998年に開かれた第12回大会は、50日ほど前の5月の連休に東祖谷山村へワサビ採りに行き、落石による頭の怪我で右手が麻痺したために、大変苦労した記憶があります。

 

その辺の経過も含めますと話が長くなりますので、前編・中編・後編に分けて掲載させていただきます。 

                              ( to be continued )

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46歳からジョギングを始めて今年で31年になりますが、走りの途中で見かける野鳥に興味を持ち、平成16年3月から野鳥撮影を始めました。マラソンや水泳の話も時には挟みながら、徳島で見かける野鳥を中心に掲載させていただきます。
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